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母校と同窓会と私、第4弾、上田・青雲時報縮刷版刊行委員会事務局長

母校と同窓会と私、第4弾、上田・青雲時報縮刷版刊行委員会事務局長母校と同窓会と私、第4弾、上田・青雲時報縮刷版刊行委員会事務局長_f0147468_2223833.jpg
 函館東高資料集の根幹となる資料は、青雲時報だ。1977(昭和52)年発刊の「創刊100号記念、青雲時報縮刷版」なくして、「東高あの時あの頃」は作ることはできなかった。
 個人的なことではあるが、その本の存在を知った時、「やったぞ」と歓喜した。借用できるはずができなかった時には落胆もした。新聞局初代部長なら持っているはずだと思い、連絡を取り、送っていただいた。やがて、返却後、先輩の女性から贈呈されて今手元に大事に保存している。
 今年3月、その続編・「続・青雲時報縮刷版」が完成する。
 上田さんとは、昨年の青雲同窓会でお会いして依頼、10数度となくメールのやり取りをしてきた。この度、関東青雲同窓会に参加するとのことで、その時、取材をさせていただき本編の制作となった。
 60代中心の編集スタッフがいかに発行までに至ったのか、その発端となった新聞局のことやその頃の時代背景を描こうとした。
 作成にあたり、裏をとるため(新聞記事の基本)、青雲同窓会の石井会長に事実確認をして「問題はない」とのメールをいただいている。
 同窓会本部の役員たちはただの名誉職云々と批判する人もいる。青雲同窓会会長と何度もメールのやり取りや会って話しているが、この続・青雲時報縮刷版発刊にも寄与しているのだと知り、その活動はわずかしか知らないが、個人的には改めて更に会長を評価することになった。
 また、函館市役所の同窓会組織「函館市役所青雲会」などについて、更に詳しい情報を得るため、市役所に勤める同期に連絡、本編の内容のメールをいただいた。
 両氏にもこの場をもって感謝いたします。

 毎日、10から20件程度のアクセス数の取るに足らないホームページでありますが、皆さんの共感を得れるような正しい情報を提供していきたいと思ってます。(このプログは毎日数人しか見ていない)

 今後、この「母校と同窓会と私」シリーズは継続したいと思ってます。
 私が「相手に共感し、相手の活動に興味を持つことが一番大事」という観点から人を選びたいと思っています。
 自薦・他薦で結構ですので、ご紹介ください。ただ全国どこにでもいけませんので、その点もご了承ください。

 上の写真は、2009年1月31日の関東青雲同窓会新年会の時、「続・青雲時報縮刷版」を紹介している上田さんの写真。
 下の新聞記事は、平成21年1月31日付「函館新聞」の記事。(提供:上田氏)
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# by higashikou-shiryo | 2009-03-14 22:32  

語りつごう! 梅津福次郎翁像

双子の森山朝光氏作梅津福次郎木造像、その差を痛む!
語りつごう! 梅津福次郎翁像_f0147468_23144227.jpg 左写真は市立函館高校の一室に置かれている森山朝光氏作の梅津福次郎翁の木像である。梅津福次郎さんを研究する方から送付いただいた写真だ。
 市立函館高校の日本屈指の広さに恵まれた環境は、梅津翁によるものであることを知る人は少なかろう。ましてやこの双子の木造が故郷の茨城県太田市の梅津会館2階にあることを知る人は、ほとんどいない。
 1941(昭和16)年、梅津翁は函館市立中学校の予定建設費全額65万円(平成6年発行「新函館物語」によれば、当時のお金にして2億円)を出している(当時の斉藤市長の証言、「感激の一夜かくて本校は建つ」参照)が、それより遡る1934(昭和9)年、故郷にも茨城県太田町役場建設費として3万5千円寄付している。
 函館市と故郷太田市の梅津翁に対する扱いは、対照的となった。
 かたやその銅像は戦時下拠出され、聖地となるはずの梅馥園は木立の中に忘れ去られてしまったと言えよう。(根拠とすべき裏付調査はしていない) 一方、故郷では、「梅津福次郎の徳に因んで旧役場を梅津会館と改称し、内部を改装して郷土資料館として活用している。(案内版より)」玄関の左側にはその徳を記念して翁の胸像が建てられている。(「本校の礎を築いた3人の歴伝」参照)
 2007(平成19)年10月19日函館新聞によれば、『市立函館高の新形式授業「函館学」、郷土の歴史学び、未来を見つめる」という記事が紹介されている。しかし、足元の母校の歴史は果して伝えられているのであろうか?
 現市立函館高の森校長は自ら「北海道函館東高創立物語」を記しているように梅津翁に理解があるが、平成20年度を最後に退職される。次の校長先生は誰になるか分からないが、この梅津翁の木像をぜひ大切にして語りつないで欲しいと願う。

# by higashikou-shiryo | 2009-02-21 00:02  

函館東高、校舎俯瞰写真10景、イラスト4景

東高写真集、校舎俯瞰写真古今10景
函館東高、校舎俯瞰写真10景、イラスト4景_f0147468_16594014.jpg 1964年から2007年までの校舎俯瞰図10枚を集めました。
 左写真は東高16回生(昭和41年卒)の奥長正義さんが送っていただいたCD「函館東高昭和41年卒業16期生資料」から取り出したもので、函館東高資料集2のトップにも納めている写真です。1964年東京オリンピック記念に撮影されました。
 東高周辺の様子の変化をお楽しみください。
 また、同窓会・同期会の冊子として写真を利用いただければ幸いです。

函館東高イラスト4景 
函館東高、校舎俯瞰写真10景、イラスト4景_f0147468_1715081.jpg 函館東高イラスト4景と称し、東高教諭 三浦薫先生のイラストを掲載させていただきました。
 平成13年8月1日発行、青雲10期の会「40周年記念誌」からスキャナしたものです。
 著作権の問題はクリアしておりませんので、商用利用はご遠慮ください。
 東高関係者の皆さんにご覧いただきたく掲載に踏み切りました。

 沿革略年表を更新しています。1990年から2005年までの歴史を、続・青雲時報の発刊を待って、「東高あの時あの頃」に追加していきたいと思います。
 皆さんの思い出を投稿ください。特に、理数科の皆さんの思い出を募集しています。

# by higashikou-shiryo | 2009-02-15 17:25  

函館東高学年別同期会報告に、クラブOB会も拡大掲載

クラブOB会報告―函館東高柔道部OB会報告― 
 ~同期会、クラブOB会の写真掲載について考える~
函館東高学年別同期会報告に、クラブOB会も拡大掲載_f0147468_22343340.jpg 函館東高57度の卒業生は、23,440名である。全国で様々な同窓会、同期会、クラブOB会が開かれている。
 実体験から参加したくてもそれら情報がなく、参加できない人々がいるはずだ。今、忙しくて参加できなくとも、将来きっと出席したくなる東高OBがいるはずだ。という思いで「学年別同期会だより」を作ったが、57回生のうち、わずか10の同期会しか達成していない。
 この度、柔道部OB会の報告が寄せられたので、このサイトを拡大して「函館東高学年別同期会報告・クラブOB会だより」と名称を変更した。
 
 写真掲載について、疑問をはさむ人も中にはいる。今回の掲載についても了解をとっているか確認はした。
 ちょっと固い話であるが、写真掲載の功罪について当ホームページの考え方を述べたい。
 基本情報:「肖像権は著作権のように特定の法律で明文化された権利ではない。判例では、「何人も、みだりに自己の容貌姿態その意に反して撮影され、撮影された肖像写真や映像を公表されない人格的な権利」と定義されている。必ずしも肖像権を主張できると限らないケースとして、「公の場所で公然たる活動を行っている場合、集会やデモ行進など。特に、不特定多数による撮影が予測される場合はこれに該当する」(Yahooオークションより)
 さて、同窓会・同期会写真のホームページ掲載についてはどうか? 2人の弁護士に聞いたら、集合写真はいいだろうとのことだった。しかし、スナップ写真となると、見解が分かれた。
 全国の多くの同窓会のホームページを見ているが、この問題をクリアしているかどうか疑問だ。
 芸能人の写真掲載は許可なく絶対に載せられない。子供や女性など特定すると犯罪に結びつくような写真は十分考慮しなければならない。と考えるが、その意に反しないようであれば、掲載しても良いだろうという基準だ。厳密にはできないが、できるだけ同意を取りたいと思うが、なかなかすべてできないのが現状である。
函館東高学年別同期会報告に、クラブOB会も拡大掲載_f0147468_2355043.jpg 言い訳でもあるが、当ホームページはほとんど仲間内でしか見られてしない。函館東高資料集の1ヶ月のアクセス分析すると、毎日のアクセスは、最高28件、最低8件で、総数470回だ。その内、259件がお気に入りからのアクセスであり、初回が211件。最近1ヶ月間の検索ワード(=左写真=)によれば、9割以上が函館東高と関連する語彙だ。その他は「函館」とか「同期会」とかという言葉である。(ちなみにこのブログはもっと少なく毎日一桁、5から6件程度)
 函館東高を思い出し毎日アクセスしてくる東高関係者の要望に応え、同窓会・同期会・クラブOB会の輪がますます広げることの方が、写真掲載のリスクより大事だと考える。
(もちろん同窓会・同期会の人物写真を、同窓会・同期会の報告目的以外に許可無く掲載してはならないと考える。だから、当ホームページは無断掲載、商用利用禁止としている。)
 ある意味では勝手な理論だ。よって個人のホームページとして、責任はすべて管理人が負うことにしている。 しかし本人の要望があれば、今までは無条件で削除、訂正をしてきた。
 「著作権法は権利の保護と文化発展への寄与が目的だが、現状は権利保護が強すぎないか。コピーは新しい文化の源になる。ネット時代に即し、誰も損をしないなら著作物の自由な利用を認めるよう法改正すべきだ」と北大広志準教授は語る。(2007.10.7北海道新聞より)

 皆さんの同期会報告やクラブOB会の報告を募集しています。
 写真掲載は可能な限り、なるべく了解をとってください。

# by higashikou-shiryo | 2009-01-10 23:35  

本校の礎を築した3人の列伝

本校の礎を築いた3人の列伝
本校の礎を築した3人の列伝_f0147468_23202790.jpg 明けましておめでとうございます。本年もよろしくお願いましす。
 当ホームページのアクセス分析からたどると、いろいろな所にたどり着く。去る12月17日、本校建設資金全額を寄付した梅津福次郎翁の講談が函館で演じられていたということを、ネットで知った。内輪の会なのに、故郷の茨城県太田市教育委員の方や梅津会館という建物を研究している千葉在住の方が函館に来ていたという。
 そこで改めて、梅津翁について調べたら、知っているつもりがそうではなかった。
 故郷の梅津会館には、梅津翁の像があるのに、なぜ東高になかったのか。そんな昭和18年8月2日付の歴史的資料「胸像供出ニ関スル件」なる現物の文章も掲載した。
 通学していた当時も「梅馥園」の存在さえ、知らなかった。うっそうとした木立の中にその存在を知っている人は、今やほとんどいないだろう。
 今もその徳をたたえ忘れなれないようにしている人々がいるのに、我等母校の卒業生も改めてそのことを知るだけでも必要ではないだろうか。そんな思いで独立して綴った。
 そして、本校誕生のきっかけを作った斉藤与一郎・函館市長もなかなかの人物だったようだ。
これも最近入所した資料から語っている。
 梅津翁の寄付がなくても、歴史上に函館市中も東高も誕生したかもしれない。しかし、岡村初代校長も含め、これら3人なくして、現在の恵まれた環境・伝統は生まれなかったに違いない。

尚、初稿に、落語と書きましたが、講談でした。ここに訂正いたします。演者の講釈師「荒到無形」さんからメールをいただき、知りました。この場をもってお礼申し上げます。

# by higashikou-shiryo | 2009-01-05 23:45