「函館東高は私の心のふるさと―東高1回生俵浩治・元函館東高教諭」
「(校歌は)すっかり頭に入ってね、今でもそらで歌えますよ。たいへん愛着のあるいい校歌ですね」という肉声を、東高放送局制作ラジオドキャメント「思いでのよすがに」の中で何度も聞いた。東高1回生ということは分っていたが、どんな先生でどんな思いを東高に抱いているのだろうか。そんな思いを持っていた。
写真は私の1973年卒業アルバムから取り出した俵先生の写真である。
今回、「続・青雲時報縮刷版」刊行を祝う会の取材の前、先生にお会いしてインタビューする機会を得た。あの憧れの青雲時報縮刷版刊行委員会・山の手編集室にて2時間もの間、先生のお話を聞いた。直接、教わったことはなかったが、その声は馴染みが深く、恩師の話を聞くような気分だった。
先生は意外にも東高には1年しかいなかったそうだ。
東高の歴史の生き証人として東高を語るにはなくてはならない先生のお一人であろう。
函館東高の前身である函館市立中の時代から、学校が良い先生を見つけるべくいろいろな大学を廻り、教頭先生らが東高の先生を探していたそうだ。俵先生もスカウトされた一人であった。
以前聞いた話だが、全国の高校で先生になる率がもっとも高い学校だと東高を紹介した週刊誌があったそうだ。いい先生に出会ったから、先生を目指す生徒が多かったのだろうと思う。
最後にインタビューの設定をしていただいた上田昌明・青雲時報縮刷版刊行委員会事務局長に感謝いたします。
また、先生には長時間に亘りインタビューに応じていただくともに、当時の写真を始め三高合同同期会や井上一先生の追悼集などいろいろな資料を提供いただき厚くお礼申し上げます。
尚、先生からお借りした貴重な当時の写真は函館東高資料集その2に東高第1回生関係写真として収録しました。
# by higashikou-shiryo | 2009-05-31 23:58