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函館東高学年別同期会報告に、クラブOB会も拡大掲載

クラブOB会報告―函館東高柔道部OB会報告― 
 ~同期会、クラブOB会の写真掲載について考える~
函館東高学年別同期会報告に、クラブOB会も拡大掲載_f0147468_22343340.jpg 函館東高57度の卒業生は、23,440名である。全国で様々な同窓会、同期会、クラブOB会が開かれている。
 実体験から参加したくてもそれら情報がなく、参加できない人々がいるはずだ。今、忙しくて参加できなくとも、将来きっと出席したくなる東高OBがいるはずだ。という思いで「学年別同期会だより」を作ったが、57回生のうち、わずか10の同期会しか達成していない。
 この度、柔道部OB会の報告が寄せられたので、このサイトを拡大して「函館東高学年別同期会報告・クラブOB会だより」と名称を変更した。
 
 写真掲載について、疑問をはさむ人も中にはいる。今回の掲載についても了解をとっているか確認はした。
 ちょっと固い話であるが、写真掲載の功罪について当ホームページの考え方を述べたい。
 基本情報:「肖像権は著作権のように特定の法律で明文化された権利ではない。判例では、「何人も、みだりに自己の容貌姿態その意に反して撮影され、撮影された肖像写真や映像を公表されない人格的な権利」と定義されている。必ずしも肖像権を主張できると限らないケースとして、「公の場所で公然たる活動を行っている場合、集会やデモ行進など。特に、不特定多数による撮影が予測される場合はこれに該当する」(Yahooオークションより)
 さて、同窓会・同期会写真のホームページ掲載についてはどうか? 2人の弁護士に聞いたら、集合写真はいいだろうとのことだった。しかし、スナップ写真となると、見解が分かれた。
 全国の多くの同窓会のホームページを見ているが、この問題をクリアしているかどうか疑問だ。
 芸能人の写真掲載は許可なく絶対に載せられない。子供や女性など特定すると犯罪に結びつくような写真は十分考慮しなければならない。と考えるが、その意に反しないようであれば、掲載しても良いだろうという基準だ。厳密にはできないが、できるだけ同意を取りたいと思うが、なかなかすべてできないのが現状である。
函館東高学年別同期会報告に、クラブOB会も拡大掲載_f0147468_2355043.jpg 言い訳でもあるが、当ホームページはほとんど仲間内でしか見られてしない。函館東高資料集の1ヶ月のアクセス分析すると、毎日のアクセスは、最高28件、最低8件で、総数470回だ。その内、259件がお気に入りからのアクセスであり、初回が211件。最近1ヶ月間の検索ワード(=左写真=)によれば、9割以上が函館東高と関連する語彙だ。その他は「函館」とか「同期会」とかという言葉である。(ちなみにこのブログはもっと少なく毎日一桁、5から6件程度)
 函館東高を思い出し毎日アクセスしてくる東高関係者の要望に応え、同窓会・同期会・クラブOB会の輪がますます広げることの方が、写真掲載のリスクより大事だと考える。
(もちろん同窓会・同期会の人物写真を、同窓会・同期会の報告目的以外に許可無く掲載してはならないと考える。だから、当ホームページは無断掲載、商用利用禁止としている。)
 ある意味では勝手な理論だ。よって個人のホームページとして、責任はすべて管理人が負うことにしている。 しかし本人の要望があれば、今までは無条件で削除、訂正をしてきた。
 「著作権法は権利の保護と文化発展への寄与が目的だが、現状は権利保護が強すぎないか。コピーは新しい文化の源になる。ネット時代に即し、誰も損をしないなら著作物の自由な利用を認めるよう法改正すべきだ」と北大広志準教授は語る。(2007.10.7北海道新聞より)

 皆さんの同期会報告やクラブOB会の報告を募集しています。
 写真掲載は可能な限り、なるべく了解をとってください。

by higashikou-shiryo | 2009-01-10 23:35  

本校の礎を築した3人の列伝

本校の礎を築いた3人の列伝
本校の礎を築した3人の列伝_f0147468_23202790.jpg 明けましておめでとうございます。本年もよろしくお願いましす。
 当ホームページのアクセス分析からたどると、いろいろな所にたどり着く。去る12月17日、本校建設資金全額を寄付した梅津福次郎翁の講談が函館で演じられていたということを、ネットで知った。内輪の会なのに、故郷の茨城県太田市教育委員の方や梅津会館という建物を研究している千葉在住の方が函館に来ていたという。
 そこで改めて、梅津翁について調べたら、知っているつもりがそうではなかった。
 故郷の梅津会館には、梅津翁の像があるのに、なぜ東高になかったのか。そんな昭和18年8月2日付の歴史的資料「胸像供出ニ関スル件」なる現物の文章も掲載した。
 通学していた当時も「梅馥園」の存在さえ、知らなかった。うっそうとした木立の中にその存在を知っている人は、今やほとんどいないだろう。
 今もその徳をたたえ忘れなれないようにしている人々がいるのに、我等母校の卒業生も改めてそのことを知るだけでも必要ではないだろうか。そんな思いで独立して綴った。
 そして、本校誕生のきっかけを作った斉藤与一郎・函館市長もなかなかの人物だったようだ。
これも最近入所した資料から語っている。
 梅津翁の寄付がなくても、歴史上に函館市中も東高も誕生したかもしれない。しかし、岡村初代校長も含め、これら3人なくして、現在の恵まれた環境・伝統は生まれなかったに違いない。

尚、初稿に、落語と書きましたが、講談でした。ここに訂正いたします。演者の講釈師「荒到無形」さんからメールをいただき、知りました。この場をもってお礼申し上げます。

by higashikou-shiryo | 2009-01-05 23:45