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函館市立中学校の資料到着

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 写真は初代校長・岡村威儀先生の直筆日記を含む、市立中の時代を中心とする資料集だ。なかでも手製の「函館市立中學校画譜」は一級の写真集だ。60余の歴史を経て、21世紀のスキャナー技術で万人に発表できる。残念なことに多くの写真ははぎとられ紛失しているが、滑降機4機の写真等は歴史的なものであろう。

 1.函館市立中学校の時代に当時の授業風景の写真など7点を追加。当時の新聞記事も紹介。

 2.「函館市立高等学校の発足」と題して僅か2年でしかなかつた時代を独立して取り上げた。

 3.校章の歴史を独立した。
 30年史にも50年誌にもなかった校章の写真を入手したが、その歴史は分からない。
 資料をお持ちの方は提供をいただきたい。

 4.岡村先生のことについていろいろな資料が見つかった。その一部を「懐しの木陰に―初代校長・岡村威儀先生の胸像除幕式」に写真とともに追加した。

今後と資料を追加していくつもりです。
 

by higashikou-shiryo | 2008-08-29 21:48  

母校と同窓会と私、野呂幸司さんの場合

「東高は、野呂幸司を創った学校だ!」母校と同窓会と私、野呂幸司さんの場合_f0147468_1412452.jpg
 写真は2007年関東青雲同窓会で校歌を合唱する野呂さん(中央右側)を撮影したものです。同窓会で目立つ存在の先輩で、今まで何度かお会いし積極果敢なお姿を見てきました。
 「野呂幸司氏と凍れるいのち」に続き当ホームページ2度目の登場です。
 この「母校と同窓会と私」のシリーズ第3段。札幌支部の代表一人として野呂さんを候補に考えましたが、平成20年度の青雲同窓会の前にアポを取るか否か迷っているうちに当日を迎えました。
 同窓会の野呂さんの挨拶の中で青雲魂とは何かを語る力強い言葉を聞き、これは取材するべきだと思い立ちインタビューを申込んで、懇親会後に会場下のロビーでお話を伺いました。
 「(人間誰しも)今いやな気持ちがあると思うよ。同窓会に参加するとすばらしい先輩や後輩がいる。その中で今の現実を乗り越える知恵と元気をもらって帰る。それが同窓会の最高の姿なのだ」という言葉にひとつの答えを得たような気がしました。
 同窓会を組織として運営するなら問題がいろいろ発生します。しかしこの言葉を目標にするような会にしたいと思いました。

 *「30年史」「50年誌」を入手しました。新しい写真を加え、東高あの時あの頃等に追加していく予定です。

主な更新
 東高あの時あの頃・・・刷新
 牛はもういない・・・・新たな項目と写真を追加
 ひんがしの杜・信太郎の池の謎・・・・・2008年夏のひんがし杜と信太郎池の写真を追加
 岡村初代校長の胸像除幕式・・・・・2008年夏撮影の写真、「30年史」から校長先生の思いでの座談会、「函館市立中学通報」から「植樹計画」を追加 

by higashikou-shiryo | 2008-08-23 14:50  

母校と同窓会と私、小西康雄さんの場合

「母校があったから、仲間があった!」小西康雄関東青雲同窓会相談役
母校と同窓会と私、小西康雄さんの場合_f0147468_021377.jpg
 「母校と同窓会と私」のシリーズ第2段。母校の歴史を綴って1年以上立ちました。通学していた時にはまったく知りもしなかったことを数多く判り、それはまるで我が祖母、祖父、両親のすばらいし歴史をたどることに似ているような気がします。
 まったく個人的な気持ちで、OB達が母校や同窓会をどう思っているか知りたくなったのです。
 それがこのシリーズ。投稿には書かないような東高OB達の気持ちを探ろうと試みてます。
 更に、各種資料からその時代背景を紹介しようとしてます。
 
 写真は戦争中の小西さん3兄弟で、両親と離れて能登半島弟と2人で疎開中に兄が休暇で訪ねてくれた時のもの。

 戦後、函館に戻り、小西康雄少年はイカ釣り漁船等でのアルバイトをしながら通学していました。それでも「当時、制服もなくて、古着屋に行って、“安くて出来るだけ高校生に合ったもの”を手に入れ着ていたよ」。戦後の苦しい時代を色濃く残しているときでした。
 その古着屋の当りに米軍相手の夜の女性が立っていたそうです。戦後、函館にも5,120人の進駐軍が上陸したのをご存知でしょうか。(「函館市史アメリカ軍の上陸駐屯施設」参照)
 夜一人そんなことを思いながら今や寂しくなった函館駅周辺を歩いてみました。

 2008年青雲同窓会報告の中に記した統合問題は、関東青雲同窓会でもあったことを知る人は少ないでしょう。市中、市高、東高がばらばらに同窓会をやっているのを統一してやろうということにさえ、「感情的な問題」があったそうです。それを乗り越えて、来年、関東青雲同窓会は25年目を迎えます。
  再度、2008年青雲同窓会に紹介した市立高1回生のメールを読んで欲しいです。その後も青雲同窓会の詳細を聞くメールをもらいました。 

by higashikou-shiryo | 2008-08-19 00:01  

2008年青雲同窓会の裏舞台と同窓会統合問題

2008年青雲同窓会報告
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 写真は去る8月14日行われた函館東高青雲同窓会での56回生のにわか応援団と32回生70人の応援歌斉唱の一場面。 
 「先生、もう一度練習していいですか」と吹奏楽部OB。今年の幹事期代表佐野先生の呼びかけで集まった、東高と市立函館高の13人が何度も校歌のアカペラ合唱を練習していた。どこかで聴いた合唱と思ったら、閉校式に歌われた合唱だという。その歌声を音声ファイルにしているので、本サイトで聴いていただきたい。
 もともと校歌は斉唱用のものと、無伴奏混声四部合唱用のものとの2曲が作成されている。(「校歌作曲の思い出」参照)
 
 佐野先生から市内小学校の開き教室に東高の資料があるので、見に来てはどうかとの誘いのメールをもらっていたが、チャンスがなかった。先生が今回の同窓会の幹事となり、資料を発掘したとの連絡をいただき、青雲同窓会出席と両親の墓参りを兼ねて行くことにした。同窓会前日に小学校に落合い資料を見る。30年史・50年誌・生徒会誌「ひんがし」などの他に、未整理の写真だけでも段ポール2箱があった。その中には岡村初代校長の直筆校舎設計図など貴重な資料も見られた。
 涼しいはずの函館なのに教室内はかなり暑く汗だくになってひんがしなどの資料を物色した。これではカビが生えてしまうのではないか。写真をスキャナーしてデーター化する必要がある思った。一晩考えて行動した。同窓会の場で承諾をいただき送付いただく手はずが取れたので、その一部を少しずつ当ホームページ「函館東高資料集2」上で公開する予定だ。

 青雲魂というTシャツを着ている先輩がいた。「いや、すごいですね」と話かける。「ひょっとしたら、高橋さんではないですか」と何度かメールの交換をしていた平松さん。先輩の発言の一部を報告の中で紹介している。また、同席のテーブルで「函館東20回生」というプロク゜を開設した先輩にも会う。
 
 追記:同窓会統合問題が総会で議論されました。詳細は本編をご覧下さい。広く皆様の意見を本プロク゜で募集したいと思います。投稿をお願いします。

by higashikou-shiryo | 2008-08-16 17:05  

母校と同窓会と私、中村隆俊名誉会長

母校と同窓会と私、中村隆俊・関東青雲同窓会名誉会長母校と同窓会と私、中村隆俊名誉会長_f0147468_22451142.jpg        
 取材のきっかけは、今年6月の山名昭二・関東青雲同窓会相談役の葬儀。会長が私に声をかけてくださった際、「生前、山名さんが会長と病院で偶然に再会したという話を聞いたことがあります。一度、じっくり聴いて原稿にしたいと思ってました。会長にもいつかその辺の話を伺いたいものですね」という私の一言からだった。

 写真は今年6月に開催した関東青雲同窓会での中村名誉会長のワンシッュト。80歳とにはとても見えない。20年間、関東青雲同窓会の会長を勤めた。1時間以上のインタビューの中で、その人柄が少し分かったような気がする。皆さんはこの原稿を読んでどう感じただろうか。
 
 話は戻す。7月の関東青雲同窓会役員会後の懇親会で、会長の病院に勤める役員のひとりが「高橋さんがいつ取材にくるんだろうと会長が話してましたよ」 「ええ、そう。休みが土、日だからなあ」と私。酒の席で、関東青雲同窓会の会長に「こんな話にありましたよ。一緒に行きますか」。すぐに、その役員から会長の土曜日のスケジュールが送られ、会長秘書にメールして取材の運びとなった。

  インタビューならでの世界を目指す。今後このような方針で、順次さまざまな人たちにインタビューして、それぞれの「母校と同窓会と私」をシリーズ化していくつもりである。
 次回は往年の函館市高生をインタビューする予定だ。
 ご感想、推薦人をご紹介ください。(費用の関係で関東日帰り圏内に限定で、これと思う人がいましたらどこにでも伺います) 

by higashikou-shiryo | 2008-08-01 23:13