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函館東高創立20周年記念「栞(しおり)」提供される

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 左の写真は、1960(昭和35)年9月23日発行の北海道函館東高等学校・創立20周年記念「栞」の表紙である。32頁の冊子であるが、同窓会や学校創立に関する貴重な証言資料があった。
 関東青雲同窓会の新山春一会長から提供を受けた。この場を借りて感謝致します。
 函館東高同窓会誕生の中に「同窓会の歩み」として、追加した。
 「校名が変ったり、制度が変わったために、新同窓会誕生の噂さえのぼった当時、未だ若い同窓会が、この期間に於いて、これらの諸問題を克服して、母校創立の精神をそのまま継承した1本の同窓会を確立していったのであります」と記されている。まさに今日の同窓会問題の参考となろう。
 岡村威儀初代校長の「創立時の夢」を収録した。
 「然し時局は意外に発展し、生徒の教育は軍事教育一辺倒に向い、予科練や特幹にかりたてられ、食糧増産や援農に校門を捨てて立ち向うこことになりました。立派な学校に整備する事もできず、資材不足から最初の計画の鉄筋校舎は建たず、7年制高校は文部省の方針で新設中止となり、新しい学校であっても、教具教材等一切購入は不可能、配給はなし、大きな理想に燃えた吾々も、その計画を捨てざるを得ない事情でありました」と当時の苦しい時代のことを吐露している。

 後にぼろ校舎といわれた所以には、こうした状況下であったという歴史事情があった。

 また、20周年記念「栞」(題字も担当)が発行された時、80歳となられていた元函館市長の投稿原稿「此の感激」も収めた。
「80年の予の生涯の中、実に感激にひたりこと2回、・・・他は梅津福次郎翁が函館中学寄付の申出をさせられた時である。甲は私の仕事であるが他は公の事で、函館全市民に関係し、且つ多数の青年学徒の前途に関するものであるから、殊更感激の涙嵭沱として落ちるを禁じるえなかったのである」と我が母校のことを「函館全市民に関係」することと断言している。

 梅津福次郎翁のことを改めて、考えさせる文章だ。

by higashikou-shiryo | 2009-03-21 00:06  

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